大連市はどんなところか


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日露争後の1905年(明治38年)、大連はポーツマス条約により、日本の租借地である関東州の一部となった。
このとき、日本は古地図に見られる中国語の地名「大連湾」からとった「大連」を都市名として採用した。
関東州大連市は明治時代後期から、大正時代と昭和の途中までである。
1945年(昭和20年)、ソ連対日参戦と日本の降伏により、大連市はソ連軍が占領した。
ソビエト連邦は当時の中華民国国民政府と結んだ中ソ友好同盟条約により、日本に代わって当地を管理した。
その後、成立した中華人民共和国がソビエト連邦と締結した中ソ友好同盟相互援助条約の付属協定に基づき、1955年(昭和30年)に中華人民共和国に返還された。

 

反日でもが全く起こらない600万人都市大連市

 朝日記事は人口約600万人港湾都市の大連で反日デモが全く起こらない不思議を報じているのですが、興味深いことです。

その理由を主に三つ挙げています。

 1:環境問題に敏感な市民の怒りで、収拾がつかなくなりかけた昨夏の教訓。
 2:薄氏を支持する大衆の怒りが、地元政府に向けられることへの恐怖感。
 3:じかに日本人と接して等身大の「日本」を知る市民の多さ。
 1:は、大連では昨年8月、沿海部の化学工場の撤退を求め、約1万2千人の抗議のデモがありました。工場からの有害物質の流出を恐れる市民は当局の対応を批判、市トップの書記が工場の撤退を約束するという異例の措置をとり、ようやく抗議活動がおさまった経緯があります。

 2:は、大連は失脚した元重慶市党委書記の薄熙来(ポーシーライ)氏が、1990年代に市長などを務めていました。多くの日本企業を招致し、経済発展をもたらしたとして、今も薄氏の人気は根強いものがあります。

 3:は、大連には多くの日系企業が進出しており、大連の日系企業で働く中国人幹部(55)は「市民の多くが、日本への留学経験者や日本企業に勤務する親族を持つ。官製メディアに流されない知識がある」と言っています。

 

2005年の反日デモにおいても中国の大都市の中で大連だけがまったく反日デモが起きなかった事実も含めれば、もっと歴史的なな理由があると考えられます。

 現在人口600万の大連市ですが、 90年代からIT産業育成に力を入れており、西郊の大連高新技術産業園区と大連連軟件園に、華信グループ、海輝グループ、東軟グループなど中国のIT企業の開発拠点があり、世界のソフトウェア開発・情報サービス関係の企業、日本のNEC、パナソニック、ソニー、CSK、オムロンなどが進出しています。

 日系企業に勤めている人も多いですし、日本語を学習している人も20万人と他都市に比較して群を抜いて割合が高いそうです、中国都市で唯一の日本語TV放送もあります。

大連は中国大陸の他都市に比較してもおそらく一番親日的な都市のひとつなんだといえます。

 しかし、日系企業が進出しているから親日的という等式はなぜ今回暴動が起きた他の大都市では成立していないのに、なぜ大連市民は親日的なのか、と言う当然の疑問が残ります。

 日系企業が多く進出しているにもかかわらず工場や日本料理店やスーパーが暴力的に破壊・略奪された他の都市と大連の一番の異なるところは、朝日新聞は触れていませんが、大連市民が親日である本当の理由はその歴史にあるといえます。

 大連は中国大陸において最も古くから実質的な日本統治が施されてきた地域です。

 日露戦争後ロシアに代わり日本が中国大陸で統治し始めた初めての都市が大連なのでした。

 日本はここに満州鉄道の本社を置き、大和ホテルを作り、上下水道・電気などの立派な都市整備に努め、今でも例えば大連駅(上野駅と似ている)など多くの日本統治時代の建物が現役で残っております。

 日本は大連に美しい町並みを残し、また数多くの殖産を行ったのです。

 大連も含め遼寧省など東北三省(旧満州地域)は他の地域に比べて親日派の多く存在している都市なのです。

 日本に統治されていたにもかかわらず親日的である点では、大連の人々は台湾の人々の対日感情に近いのかもしれません。

 地域に比べ、中国を支配している漢民族に対する満州族の割合が高いことも、本省人(台湾人)と外省人(漢民族)が混在している台湾に似ていて興味深いのです。